【竹・笹にまつわる信仰】
私たち日本人は、竹・笹に関して特別の思いを抱いているようです。生活必需品や建材などは言うに及ばず、竹・笹が日本人としての精神組成に大きな貢献をしているとは言っていいようです。
例えば、日本人なら誰しも、青竹を見て清々しいと感じない人はいませんが、西欧人は特別、そのような感情は持たないと言います。また竹で作った器は、私たちには涼しさを感じさせるようなものですが、西欧の人たちには単に美しい器としか映らず、涼しいとか清々しいとは感じないのです。これは美意識の違いとは別に、竹そのものに対する感じ方の相違なのでしょう。我が国では最近は見られなくなりましたが、かつては垣根に竹を使っていました。これは日本独自のもので、外国ではジャパニーズ・フェンスといい、竹イコールにほんという意識があります。
竹に対する日本と欧米の違いの一例として、こういう話があります。
第二次世界大戦中、米軍捕虜にちょうど旬だった筍を食べてもらおうと若竹煮にして出したところ、
「日本では、捕虜に竹を食べさせるのか。しかも黒い紙を一緒に煮て出すとはなにごとか」
と大騒ぎになり、戦後の裁判でもこのことが持ち出されたと言います。若竹煮とは、筍と若布を炊いたもので、春先の御馳走(旬の筍の食効は、閉じ込められていた冬から蘇ってきたところにあります)の一つになっていますが、アメリカ人の目には、なんと太い竹を鋸でゴシゴシと切って、黒い紙(若布)と煮たもののように見えたのでしょう。
このように、竹は欧米人には想像もできない日本人の精神文化や食生活に、大いにかかわりを持っていると言えるのです。